ジャニオタという切り口

『ジャニオタ』という切り口

平野くんと二宮くんと、ときどき宇野くん

ジャニーズカレンダー売上をもとに最近の数字至上主義を考える

はじめに

 
今年も来年のカレンダー発売が発表される季節となった。
 
2021年のKing & Princeのカレンダーは昨年までの新潮社に変わり、講談社から発売されるらしい。
 
SNS上では、カレンダーというよりもはや写真集といえる今年の新潮社のカレンダーに名残りを惜しみつつ、来年はキンプリも何度か表紙を飾っているファッションwithで定評のある講談社とあって楽しみに待つ声が多いように見える。
 
そんな中でちらりと見かけた、今年と来年のジャニーズカレンダー出版社比較をしたツイートがとても興味深いと私は思った。
 
今年のジャニーズカレンダーは、重版が話題になった中でもキンプリの売上が頭一つ抜けていて、やっぱりキンプリは数字に強いなと思った記憶がある。
そのキンプリの今年のカレンダー出版社が変わったことには何か裏側があるような気がして、ちょっと調べてみることにした。
 
 
 

最近のジャニーズ数字至上主義はいつから

 
というのも、まだまだジャニオタ歴が浅い私はここ2年ほどの状況しか知らないが、キンプリがデビューして以降CD売上を始めとする数字至上主義的な空気が生まれたように感じている。
 
それ以前でも全くなかったわけではないだろうが、キンプリが様々な業界に数字的な衝撃をもたらしたデビュー以降、つまりここ2年ほどでジャニオタをやっていて数字に対する意識の上がり方感じたことはないだろうか。
私は正直、その実体が何かはわからないが、背景にSNSの普及が影響していると考えている。
 
今回私が出版社の変更に興味を持った理由にも、カレンダーの売上がグループが持っている数字として一つの指標となることがある。
数字の指標は他にもいろいろあるが、顕著なのはCD、アルバム、ライブDVD、FC会員数等のグループごとの比較をよく見る。
そんな中でカレンダーの出版社が変更されたのも、もしかして今年のカレンダー売上が影響しているのではないか。そう考えたのが興味をもったきっかけだ。
 
 
なぜ、グループが持つ数字に興味を持つのか。
 
単純にモノが売れて推しが喜んでくれるのが嬉しいという考え方もあるだろうが、私は自分の推しが世間でどんな人たちに支持され、どのくらいの人たちに支持されているか、どんな立ち位置にあるのかにとても興味がある。
 
たぶんそれは、自分の好きなものが世間からも認められてほしいという気持ちからきているのだろう。
 
そう思っているのは自分一人ではない、同じファンなら共通の認識だ。
そして今や、その同じ認識を持つ者同士は繋がれる時代になっている。
 
 
私は初めてTwitterでジャニオタコミュニティに触れたとき、Twitterを中心としたファンの情報網とその共有力にとても驚いた。
 
CDが発売されれば、その数字をまとめる人がいたり、どのショップで買わないと数字に反映されない等の情報がいいねやリツイートによって共有される。
大きくなったリツイートの数字はCD売上がまるで一つのお祭りのようで、その中にいると顔は見えないけれど、何かの集合体に属しているような感覚になる。
自分が応援の気持ちで買ったCDが大きな数字へと結びつくのは、オタクにとって何よりもオタクのしがいを感じるポイントのはず。
それが自分の身の丈に合ったレベルであるのが前提だが、同じ認識を持つ人たちとつながって共有できることは一人で応援する何倍も楽しい。
ジャニーズの規模であれば、経済を動かしているレベルの集団だ。
 
私は、このオタクの熱量と同じものを見るゆえのその統率の取れた動きに、驚きとともになんだかとても大きな可能性を感じた。
この力がプラスに働けば、ものすごい大きな力を生み出すことができる。
例えば、つい最近までのSmie Up Projectはその例に当てはまるだろうら。
 
 
しかし、一方で今年デビューしたSnow ManSixTONESによってミリオンが達成されるなど、もはや最近は実態がわからない数字のバブルになっているようにも感じる。
 
CDの売上だけではない、雑誌を始めとランキングの票数、Twitterハッシュタグを利用したトレンド入りを狙う動き等、それが良い悪いとかの話ではなくて、Twitterを中心としたSNSを通してファンが情報を共有できるようになったことは、このように数字至上主義的な文化をジャニオタにもたらしているのではないだろうか。
 
 
あくまで、ここに書くのはすべて私がジャニオタになってからの体感であるし、それもキンプリオタクからの視点であるため大きく偏っているとも言える。それに私がジャニーズの世界を見るようになったのがほぼキンプリのデビュー時であるため、それ以前のことは正直全くわからない。
 
でも、その数字の変化を見てみることは、ある程度の体感の裏付けになるような気がして、今回のジャニーズカレンダー出版社の変更を機に、少しまとめてみることにした。
 
 

SNSの普及率

 
まず、ジャニオタへのTwitterの普及が数字至上主義につながったと考えた点について、実際のところのTwitter普及率を調べてみた。
 

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Twitter利用率(年齢階層別)
 
 
CDを始め、購入する財力を持つオタクは20代に多いと仮定し、
キンプリがデビューした2018年と、その一つ前にデビューしたジャニーズWESTの2014年の20代Twitter普及率を比較してみる。
 
2014年 53.8% ←ジャニーズWESTデビュー
2018年 76.1% ←King & Princeデビュー
 
2014年には20代でも約半分の人が利用していなかったところから、2018年には8割弱の人が利用するようになっている。
20%強の増加だが、現在のファンコミュニティの中心がツイッターにあると考えると、ツイッターの普及率アップはファンの情報共有網をさらに強くしたと考えることができるのではないだろうか。
 
また10代からSNSに慣れ親しんだ世代が20代になっているため、SNSの繋がり方や使いこなし方もうまく、より強力な情報共有網を築いているとも考えられる。
 
 
 

歴代ジャニーズカレンダーの出版社と売上から考察

 
 
2016
2017
2018
2019
2020
2021
Hey!Say! Jump
光文社
7万804部
6万9695部
光文社
6万603部
累計71374
6万7710部
マガジンハウス(anan)
小学館
光文社
4万30部
3万4269部
光文社
 
光文社
マガジンハウス
マガジンハウス
光文社(女性自身)
3万569部
学研
3万1657部
3万6446部
累計45266
主婦と生活社(週間女性PRIME)
King & Prince
 
 
 
新潮社
7万7369部
累計90180
新潮社
16万1117部
講談社(with)
 
 
 
 
6万5597部
 
 
 
 
7万5458部
新潮社
ジャニーズJr.
学研/集英社
関西ジャニーズJr.
 
 
学研
5万3309部
集英社(Myojo)
 
(2018年以降でまとめようと思ったが面白くて2016年までさかのぼってしまった…。)
 
こうしてみると、カレンダーを担当する出版社は結構入れ替わっているみたいだ。
なんとなく日本三大出版社の講談社集英社小学館が売上の大きいグループに比較的優遇されているような気もする…
 
そして、キンプリ、スノストのデビュー以降、売上の情勢は変わってきているように見える。
すべての売上が明らかになっていないので確かなことは言えないが、それまではJumpが安定して7万部を売り上げる一強だったところに、2020年のキンプリの16万部はやはり飛びぬけている。
その上で、中でもJump率が高かった講談社が今年はキンプリであるところになんとなく邪推してしまう…
 
 
関連を見出すのは難しいが、自分が気になって調べたので参考に「上記の出版社の2019年 売上順位」を載せておく。
1位
KADOKAWA
学研
新潮社
23
光文社
34
マガジンハウス
55
57
 紀伊國屋書店発表 「2019年 出版社別売り上げベスト100」より
 
 
ちなみに調べてみると、光文社の経営権は講談社にあるようだった…。
とりあえず、最も大手の講談社にいちばん高い売上のグループを、ってところなんだろうか。
偏りすぎな見方かもしれないが、数字がすべて開示されているわけではないので難しい…。
 
 
 

数字とともに生きるオタクとして忘れたくないこと

 
今年のカレンダーは12/1から予約が開始され、3月に発売、だいたいの売上が出るのは今から約半年後。
 
予約が開始されれば、昨年のようにカレンダー予約ランキングがTwitterに出回るだろう。
今年はスノストの単独でのCD売上がキンプリを上回ったこともあり、予想ではあるがカレンダーの予約ランキングもなんだか荒れそうな気がしている。(去年のような下げ合いが起きないといいのだが…。)
 
 
本来、数字はグループで競うものではないが、数字が出れば大きく取り上げられる以上は注目される。
勢いのあるジャニーズ若手グループが複数いることは良いことだと思うが、最悪なのはつぶし合いをしてファンが疲弊してしまうこと。
何より他者を下げることで自分の推しを持ち上げるようなやり方は何も生まない。
 
ジャニーズもSNSに進出している現在、しばらくはこの数字のバブルのような状態が続くかもしれない。
SNS時代、自分が疲労しない程度に他のファンと繋がってお祭りの楽しみを共有ができるのが上手なオタクだと私は思う。
 
疲弊して自分の推し事に迷うことがあったとしても、オタクは自分が良いと思ったものに立ち戻って、推せばよい
 
 
数字バブルに惑わされそうになってもそれを忘れなければ、
きっと幸せな推し事ができるはずだ。
 
 
 
 
 
 
 

映画『浅田家!』感想~スマホ時代の写真の価値とは~

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映画「浅田家!」

映画『浅田家!』を見てきた。
 
 
 
偶然にも、この映画の公開が発表される一週間前に私は初めてカメラを購入した。
 
発表されたときは久しぶりのニノの映画のテーマが自分が始めたばかりの写真とあって一年後が楽しみでしょうがなかった。
 
 
それ以外にもいくつかの偶然が重なり、
観に行く予定だった日には「第36回ワルシャワ国際映画祭」にて、最優秀アジア映画賞(NETPAC賞)を受賞したことが報じられた。
 
そんな縁を感じながら私は映画『浅田家!』を観に行った。
 
 
この作品は音楽や映像に特別迫力があるだとか、絶景の写真が映るといった作品ではない、
ただ「自分にとって大事なものを大事にしようとする」作品だったから、
映画館という場で大切にして観ることがとても意味のある作品だったと見終わった私は感じている。
 
 
扱うテーマは家族写真。
だが、家族という存在が人間にとっていちばん身近であたりまえになりやすい存在というだけで、家族の絆に終始する映画ではない。
 
それよりも、
過去現在に関わらず「この時間がずっと続いてほしい」、
「これだけは忘れたくない、ずっと大切にしたい」という経験がある人にきっと響く。
 
 
 
 
主人公政志は、卒業制作のテーマ「一枚の写真で自分を表現する」をきっかけに
 
「一生で一枚しか写真を撮れないとしたら自分は何を撮るか」を考え、
 
結果”その家族をもっとも表すような写真”を撮ろうとする。
 
 
ただの記念写真ではなく、”その人をもっとも表す写真”であるところに、写真集「浅田家」の意味があると私は思う。
 
写真集「浅田家」は一見すると家族のコスプレ写真だ。
 
どうして「偽り」のコスプレがその家族をもっとも表すのか。
 
 
それは「なりたい姿」にこそ、その人の心のいちばん深くにある思いが表れるからではないだろうか。
 
 
いちばん深くにある思いとは、その人が大事にしたいもの、大事にしてきたもの。
 
その究極にあるのが、きっと遺影写真だ。
 
 
コスプレは世間一般にくらべて”変わっている”ということを表現しているのではなく、コスプレという演出を加えることによって撮影日が、普段あたりまえに感じているお互いへの思いが形になった記念日へと変わる。
 
ありふれた日常を形にする方法はいろいろあるが、その浅田さんの演出が「普通じゃない」と見る人に感じさせたところに、作品としての価値があるのだろう。
 
 
 
 
映画には政志の家族以外にもさまざまな形の家族が出てくる。
 
けれど、必ずしも「家族全員」が出てくるわけではなく、今はいない存在、あるいは今は存在しているけどいつか消えてしまう存在、いろんな家族の形がある。
 
すべてに共通するのは「心の中に残したい存在」があるということ。
 
 
人間って一緒にいればそれが当たり前になるし、いなくなったとしても時間とともにいつかはそれを受け入れる。
 
一緒にいてもすべての記憶を残すことはできないし、いなくなったら思い出すこともだんだんと減っていくかもしれない。
 
 
きっと消えていくのが人間の必然だからこそ、「残したい」と思うのだ。
 
消えていくことを実感したとき、そのあたりまえは特別になる。
 
 
そして、そういう消えてしまう記憶を形として確かなものにするために”写真”がある。
 
 
写真家とは、みんなが気づいていないあたりまえの中に「特別」を探す仕事なのかもしれない。
 
 
浅田さんが目指した「なりたかった写真家」の姿とは、
人の心の中にある大事なものを、自分の写真によって形にする”写真家”だったのではないだろうか…。
 
 
 
 
 
私が冒頭で述べたカメラを買ったきっかけは、
サークルをきっかけに始めた登山でスマホでは収めきれない風景を撮りたいと思ったことだった。
 
それ以前は、高校生の頃から手にしたスマホで、過ぎていってしまう時間と楽しかった思い出を残したいという思いで大好きな部活の仲間の写真をよく撮っていた。
 
 
 
 
 
スマホがものすごく発達した現在、より手軽にたくさんの情報をカメラで撮影し、たくさんの人と共有することができる。
写真以上に情報が多い動画も共有ができるようになった。
 
 
でも、それはその瞬間に価値を感じて残したいというよりも、一時的に消費するものになっているような気がする。
 
あたりまえに写真を撮りすぎて、どんな写真を撮ったかも覚えていない。
 
 
写真を撮ることが”あたりまえ”になって、一枚の写真に込められる思い入れのようなものが薄れているのではないだろうか。
 
 
記録として単に残すだけなら手軽なスマホが最も適しているといえるかもしれない。
 
 
ただ、写真を撮ることで残したいものが、何かに対する”思い”であるとするのならば、きっと後になって何かを自分にもたらしてくれるような写真は、
 
その”思い”が込められた写真だろう。
 
 
 
 
自分は、何を大切にして生きていきたいのか、
 
 
 
 
 
 
 
私は今、自分が大事だと思うものを大事にできているだろうか…
 
 
 
 
 
日常の中で、自分にとって大事にしたいと思うものを見失わないように、
 
”なりたい姿”になれるように、
 
そのための一つの手段として、私はこれからも写真を撮りたいと思う。
 
 
 

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私にとって写真とは何か
 

スマブラで強くなる方法 by宇野昌磨

10月16日に公開された宇野昌磨のナウボイスが、人生を生きるすべての人に共有したい内容でした。

公開されてから12時間以降は有料のため、どんなところに感銘を受けたかをかいつまんで書きたいと思います。

 

実は、私は宇野昌磨くんと完全に同い年の同世代。

このブログにはちゃんと書いたことがありませんでしたが、

宇野くんに落ちたきっかけは宇野くんがシニアデビューした年の、

とまで書けばわかる人には、あの試合かと察しがつく

 

 

2015年グランプリファイナルのFP「トゥーランドット」。

 

 

 

一度その時のことを振り返ってツイートしたことがあるので、以下引用。

SB190.32

曲がなり終わる瞬間からのガッツポーズにすべてが現れていた。
当時は羽生くんのあのピアノバラードと陰陽道のダブルのプログラムで試合のたびに記録を立て続けに更新し、「異次元の世界」といわれた真・4回転時代の先駆けのとき。私も見ていて、完璧を重ね、自己を越える羽生くんの演技に圧倒された。華やかに見えるけど、個々の精神力が試されるガチガチのスポーツだ、と感じた。
絶対王者」にメディアが盛り上がる中、私が感動して、YouTube で繰り返し何度も何度も見ていたのは宇野昌磨。スケーティングスピード、姿勢のよさ、何度も見たいと思わせる引き込まれる演技。トゥーランドットっていう曲のよさもあったけど、泣いた。シニア1年目で、4回転も一つしか持ってない、闘う武器が他の選手に比べて少ない中、「攻める」を目標に、全力で全身でぶつかっている姿に感動した。仕上げはキスクラでの頰筋ゆるゆるの表情、そしてこの大舞台での自己ベスト更新に対するリアクション。結果、初出場で3位に組み込み、今に続く表彰式での羽生との結婚式が始まった。追い討ちをかけたのは、速攻今までの演技をさかのぼって出てきた昔のインタビュー動画。かわいすぎ!!!!!
そこから宇野昌磨ファン歴は始まる。
センターからちょうど一ヵ月くらい前の私だったけど、点数を突き詰めることを同類に感じて、なぜかフィギュアスケートから『私もがんばらなきゃ』って勇気をもらってた。

 

 

・・・そんな感じでがっつりと心をつかまれ、そのシーズンから数えるといつのまにかもう6シーズン目。

 

 

今年は様々なことが今までとは違う形式で行われているが、

そのグランプリシリーズもまさにそうで、練習拠点を基準に一大会のみの参加でファイナルはない。

宇野くんは11月のフランス杯にエントリーしているが、パリの外出制限を受けてどうなるか。すでに今月予定されていたカナダ大会は中止が決まっている。

 

現時点でどうなるかはわからないものの、宇野くんを始め選手たちは今、全力で大会に照準を合わせ、プログラムの精度を上げている最中だろう、

スイスでどんな練習をしていて、今どんな調子なのかはわからない。

 

でも、今シーズンは宇野昌磨チャンネルに、ナウボイスに、樹くんのSNSもある…!!

 

 

貴重な時間をファンのためにそうしたツールで発信してくれるのはもちろんのこととても嬉しい。それも、ただ宇野くんのおしゃべりを聞けるだけではなく、ちょいちょい人生の格言のようなものをいただけちゃうから、宇野昌磨のファンはやめられない(すでに一生推し続けると決めている)。

もちろん、連日アップされている宇野昌磨チャンネルみたいに、全然究極じゃないことを「人生における究極の選択」と題して話していることもあるが、、、

宇野昌磨の言葉にはただ感覚でしゃべっているのではなく、彼の生きるうえでの信念というか、一つの筋の通った芯のようなものをすべての内容に感じるからすごく面白いのである。

 

ちなみに、去年までは試合前後のインタビューが主にそれにあたり、試合を見ているのと同じくらいの集中力で楽しみにしていた。

(かの有名なオリンピックでのコメントも面白さは天然にあるのではない…!!!)

 

 

・・・それが今年は、あらゆる媒体でしゃべる、しゃべる、しゃべる……!!!

 

かつてのあのシャイボーイはどこへやら、ファンも初めて見るくらいの饒舌さでゲームについて語っていた。

(好きなことについて語るのって楽しいよね!!わかるよ…!!!!)

 

 

 

特に、今回のナウボイスはゲームとスケート同じくらい真剣に向き合っているだけあって、神回でした、!

(やっと主題に戻ってきました)

 

「何事も数、僕は器用な方ではない」というのは、何度か対談やコラボ配信でも話していた内容ではある。

 

しかし、今回はその「強くなるための数」に加え、

数を実現するために「続けること」、続けるためのモチベーション、そしてモチベーションを維持するために環境づくり、

また、”コツ”と勘違いされる「アドバイスの活かし方」にまでふれていた点が神回たるゆえん。

 

 

 

 ハイ、はりきってわかりやすく図にまとめてみました!

(囲みの統一感のなさはゆるして)

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スマブラで強くなる方法by宇野昌磨

 

以上は 「スマブラで強くなる方法は?」に対する回答だったが、この内容はスマブラに限らないところが人生を生きるすべての人に共有したいと思った理由。

 

 

かく言う私も継続することにとても苦労している。

 

何かをできるようになりたいとき、まず楽な道を探してすぐにググってしまう。

そしてネットのアドバイスを読んで自分で少しでも試してみればいい方で、だいたいは読んで満足。

そんな風にちょっとかじったレベルにもいかない、ちょっと噛んでみたレベルで立ち止まっていることが最近非常に多い。わかっているのに続かない。

 

 

強くなりたい、上手くなりたいのなら、宇野くんのアドバイスの通り、まずはわからない状態でも回数を重ねること。

できるようにならないのは、楽をして身につけようとしている私の意識が原因だ。

 

今後は、宇野くんの「何事も数」を意識のスタンダードにしていかなければならない。

 

 

しかし、意識に問題があるとわかっても、そこから試行を重ねなければこの宇野くんのアドバイスを活かすことはできない。

 

宇野くんが言うように、なぜネットに溢れる情報(アドバイス)を活かせずにいるのかは自分で試行した回数が少なすぎるからだ。

”効率”を求めてすぐに”コツ”を求めても、結局実力はたいして変わってはいない。

 

回数を継続するためにはモチベーションの維持が問題であり、

自分の場合も、最初の段階で「できるようになりたい」と芽生えたモチベーションをうまく維持ができていないところに問題がある。

 

 

人間とは怠惰なもので、特に自分のように意思が弱い人間は、やらざるを得ない環境に身をおかないと永遠に後回しにし続ける。

 

この環境づくりが、一人でやるのが非常に難しい。

厳しすぎても続かないし、ちょっと頑張れば達成できるくらいの目標設定が必要だ。

 

 

 

そこで私は、この場で目標設定をしてみようと思う、

 

 

「私は、1日10分YouTubeで英語のシャドーイングをすることを誓います!!!

とりあえず一週間が目標で、時間は起きてすぐ、どうしても遅刻するようなときは寝る前に必ずすると決めます!!!」

 

よろしくお願いします!!!

 

 

 

 

 

 

…このようにして、私は日々宇野くんを応援するとともに、同世代を生きる宇野くんに勇気をもらっています、! 

 

フランス杯、無事に開催されますように!